1.魅力ポイント
旧東海道の中でも、都会の割に、保土ヶ谷宿~戸塚宿までは、昔の面影を残しています。
旧蹟が、現在でも見られます。
道幅は、昔のままなので、自動車が通るには細いですが、人が通るには、ちょうどいい感じです。
でも、一部は普通のバスが通りますので、気を付けるにこしたことはありません。
安全に、昔に思いをはせながら、季節が良いと花々も一緒に見ながら歩きましょう。
2.コースの紹介
保土ヶ谷からしばらく歩くと、一番目の坂が権太坂です。
この道標が権太坂の始まり。
昔は、もっと急な坂だったようですが、今歩くと、緩いだらだら坂に感じます。
何故”権太坂”と言うのか、2つの説があるのですが、こちらは耳の遠い権太お爺さん説。
権太坂の名前由来は二つですが、こちらは権左衛門説も。
権太坂を上りつめると、昔は峠だったであろう所に、境木観音様があります。
一息入れましょう。
境木観音様の真ん前の行き止まりの細い道を下りていくと、江戸時代の旧家が残っています。
この奥の道場に、近藤勇も来たらしいです。廻りは、うっそうとした竹藪なのです。
一度、元の境木観音様まで戻ります。
境木観音様の真ん前に、焼餅坂の始まり道標が建っています。
焼餅坂の言われが書いてあります。たいしたことは書いてありません。
実際の焼餅坂は、こんな感じです。
しばらく下っていくと、品濃一里塚が見えてきます。
この品濃一里塚の絵によると、保土ヶ谷と戸塚のちょうど真ん中らしい。
品濃一里塚からは、緩く下っていますが、東戸塚の手前は急坂”品濃坂”です。
明治初期の品濃坂は、一つの難所だったらしい。
宝蔵院です。
宝蔵院と言えば槍ですが、ここは真言宗のお寺で、槍とは関係なさそうです。
戸塚宿の入り口には、この江戸方見附跡があります。
ここから、出口の上方方見附までは、どの殿様の参勤交代の隊列も、整然として進む必要があります。
なぜなら、幕府のお役人が、人数を数えるからです。
横に、江戸方見附跡説明があります。
戸塚宿に到着です。
3,マップ
保土ヶ谷~戸塚の旧東海道を歩く地図です。